2015年2月26日木曜日

『日本人は成功者である韓国を嫉妬した』と韓国教授が嫌韓批判。我々は上位者として日本人に度量を示すべき

1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2015/02/25(水) 23:03:39.08 ID:???.net

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▲カン・ギルソン全北(チョンブク)大学BIN融合工学科教授

最近、日本の我が国に対する感情表出が極端な嫌韓に走る非正常な姿を見せている。特に隣り合う国々の歴史までも無視して認めない姿勢に一貫するその理由は何だろうか?

韓日関係は古代史から見なければならない。日本の源流は西暦660年に遡る。羅唐聨合軍の侵略で滅びた百済王族と豪族らは難民になって金剛(クムガン)を後に復興を夢見て日本に避けて身を守る。しかし、復興軍さえも663年に白村江の戦闘で完全崩壊した。

この時の様子を日本書紀は次の様に描写している。「百済という名前も今日で終わりだ。先祖様の墓地を再び見ることができるだろうか?」そうだ。倭側で見れば私たちの韓半島は先祖様の国だ。日本人たちの胸中には今も先祖様の国で、ここには一種のコンプレックスが席を占めている。

とにかく百済王族の難民らは先祖様の国とはそれで終わりで、倭の最高階層の天皇一家に合流し、倭を支配することになる。それと共にすべての文化経済分野を統一新羅を始まりに高麗・朝鮮から習い、師匠の国、先輩の国として仕えることになる。

この後、15世紀初期にポルトガル商人らに会ってヨーロッパ先進文物に接することになる。鳥銃という新武器を手に入れた豊臣秀吉が日本統一後、各派閥間の内部組織の葛藤を払拭させるため、壬辰倭乱すなわち、自分たちの過去の土地、故郷の地を探しに壬辰倭乱を起こしたのだ。

そして1867年に明治維新が起きて征韓論が再び台頭した。もちろん、この時までは朝鮮は師匠の国、資金援助者の国だったのに帝国主義の外国文物を受け入れながら、李朝鮮を征服せずには、すなわち韓国を越えなくては日本の気を咲かせることはできない事実を知った。

一方、明治維新直後は日本はアジア各国にスパイを送って各国情報を収集し、満州原野に広開土大王碑があることを知って碑文を操作、韓半島の伽揶地域が日本の植民地である任那日本府だったと漫画の様な主張をすることになる。

また石上神宮に保管された七支刀の60字余りを作為的に解釈し、倭王が百済に下賜したと操作する。そして三国遺事、三国史記などは信じられず日本書紀だけ信じられると主張して征韓論の口実を理論的に作るに至る。結局、脱亜入欧を標ぼうして我が国や中国を植民化し、アジアの盟主を自任することになる。

私たちの韓半島を日本の一部と考える最も典型的な事件が公州・扶余一帯に日本天皇墓を移そうとまでしたことは単なる征韓ではなく自分たちの過去の土地を取り戻そうとする覆土の次元だった。明治維新後から今日まで約150年をアジアの盟主と自任をしたが、最近、韓国の政治・経済の成功と中国の大国化が成功して日本の代表企業ソニーをはじめとする多くの日本企業がサムスンをはじめとする様々な中国・韓国企業に制圧されるとすぐに明治維新以前の古代・中世史の悪夢がよみがえったのだ。

その上、最近、日本は自然災害まで増してこれに不満と不安の極限状態に至り、彼らの本性の内部問題を外部に回して寝かそうとする特有の島国根性がよみがえった。独島(ドクト、日本名:竹島)をはじめ諸問題で無理難題を吹っかけ、我が国が上手く行っていることをねたましく思って牽制しているわけだ。すなわち、日本人自身に内在している一種のコンプレックスの露出である。

数日後に96周年3・1記念日が帰ってくる。今、私たちの大韓民国は克日・抗日を越えて我ら自らが壬辰倭乱以前の大国に帰らなければならない。最小限、日本に関する限り、師匠の国、先祖の国、父母の国、そして日本の根の国に帰り、私たちの度量・謹厳さを見せるべきだろう。

ソース:全民日報(韓国語) [新しい風]日本人たちの反韓感情はなぜ極端に流れるのか?
http://www.jeonmin.co.kr/news/articleView.html?idxno=127350



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