2013年9月26日木曜日

「日本人の夢である対馬海峡トンネルは日韓蜜月でないと実現不能だ」 毎日新聞が戦前日本の大規模公共工事を絶賛

1:帰って来た仕事コナカッタ元声優φ ★:2013/09/25(水) 18:46:06.24 ID:???

戦前、鉄道マンの「夢」は壮大だった。「鉄道に生きた人びと[鉄道建設小史]」(沢和哉著、築地書館)によると、1930年2月、鉄道省のベルリン事務所長の「湯本昇」という人物は中東を視察。砂漠のキャラバンが行き交う「東西交通の要衝」だった中東が衰退した原因は輸送経路のメインが、インド洋やシベリア鉄道に移ったことにある……と看破した。中央アジア横断の鉄道が必要だ!

鉄道省監察官として帰国した湯本さんは「夢」の実現に奔走する。まずは、東京~下関間を結ぶ弾丸列車計画。最高時速200キロ、東京?大阪間を4時間半で走破する。当時の最先端技術「電車での運行」を主張したが、軍部が「変電所が爆破されれば一発で動けなくなる」と反対。「蒸気の弾丸列車計画」を帝国議会が承認した。

その頃(39年10月)、彼は「中央アジア横断鉄道建設論」(東亜交通社刊)を発表している。
「次は対馬海峡を横断する海底トンネル建設」である。当時、世界に誇る鉄道技術で、世界有数の上越線・清水トンネルが完成していた。下関?門司を結ぶ「海底トンネル」も着工していた(42年完成)。朝鮮半島まで延びる海底トンネルだって決して「夢」ではなかった。

最後は日本から、朝鮮、北京を経て中東に延びる中央アジア横断鉄道。彼は「旅」(39年10月号)の中で「東京~パリ間はシベリア鉄道経由で15日かかるが、新しい鉄道では10日間で走破できる」と書いた。

日本が「世界の覇者」を目指した時代だった。「仰天の計画」も実現可能だった。しかし、この壮大な計画は戦局悪化で頓挫する。すべてが「平和」が前提だった。弾丸列車構想は二十数年後、東京オリンピックの64年「東海道新幹線」開通で実現した。

2020年東京オリンピック。米倉弘昌経団連会長が「できればリニア中央新幹線を実感できるようなことになればいい」と話したが、ともかく夢の弾丸列車は平和ニッポンのお家芸になっている。

もしかして、韓国との間に「蜜月」が戻れば「対馬海峡海底トンネル」だって夢ではない。(専門編集委員)

http://mainichi.jp/opinion/news/20130924dde012070075000c.html?inb=ra


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