2014年9月28日日曜日

”最後の機会を喪った”と理解した韓国人記者が『絶望のあまり発狂』。あの時が日本を屈服させる最後のチャンスだった

1: Hi everyone! ★@\(^o^)/ 2014/09/27(土) 13:15:11.46 ID:???.net

ソース(ハンギョレ) http://japan.hani.co.kr/arti/politics/18368.html
写真=3月25日午後、オランダ ハーグの米国大使官邸で開かれた韓・米・日首脳会談で、バラク・オバマ大統領(中)の勧誘で朴槿恵(パク・クネ)大統領(右)が安倍晋三日本総理と握手している。

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 1951年10月に始まった韓日国交正常化交渉は、14年が過ぎた1965年6月に妥結した。 経済開発が切実に必要だった朴正煕政権は、5億ドルの経済協力資金を受け取る代価として植民地支配に対する責任追及という両国間の根本問題を取り繕ってしまった。 1991年にキム・ハクスン ハルモニ(おばあさん)の歴史的証言で慰安婦問題が提起され、それからすでに23年が過ぎた。 韓日間の最近3年間の綱引きの歴史を振り返ってみると、慰安婦問題の解決は熾烈だった韓日国交正常化会談の妥結よりさらに難しいものと感じられる。

■整理するとこうなる

 今月19日、韓国大統領府が「秋の国際会議を機に会えることを楽しみにしている」という内容の安倍晋三首相の親書内容を公開したというニュースを伝え聞き、安堵感と失望感が入り乱れた複雑な心境に陥った。 誰もが認めるように、現在の両国関係は1965年の国交正常化以後最悪の状況に置かれている。その原因は他でもない"慰安婦問題"等の歴史問題を巡る両国間の対立であり、このような葛藤局面を終息させる重要な分岐点は朴槿恵大統領と安倍首相の首脳会談ということには異論の余地がない。 大統領府が11月に中国北京で開かれるアジア・太平洋経済協力体(APEC)首脳会議などで「朴大統領に会いたい」という安倍首相の親書内容を公開し、朴大統領が24日(現地時間)に米国ニューヨークで開かれた国連総会基調演説で「戦時の女性に対する性暴力は人権と人道主義に反する行為」として、日本に対する直接的な言及を慎んだため、この間一度も実現できなかった両国間の首脳会談が実現する可能性が大幅に高まった。

 最近3年余りの間続いた慰安婦問題を巡る韓日間の対立は、1965年の韓日国交正常化会談以後に両国が国力を総動員して繰り広げた全方向的な外交折衝戦だった。
世界3位の経済大国と世界10位圏の新興国とが、両国の自尊心をかけて全面対決を行ったので、その余波は相当なものだった。 その結果、韓日関係が大きく迷走し、米国の東アジア戦略、中国の対韓・対日戦略、日本の対北朝鮮戦略に深い影響を及ぼした。 日本国内では"反韓集会"(ヘイト スピーチなど)と呼ばれる途方もない嫌韓強風が吹き荒れた。

■李明博はなぜ独島に行ったのか

 今度の葛藤の意味は、両国が慰安婦問題で譲歩できないお互いの"頑丈な岩盤"のような下限線を確認したという点だ。 そのような意味で今回の事態は来年に修交50周年を迎える未来の韓日関係を規定せざるを得ないので、そのためにこの間の進行経過を徹底的に復碁しなければならない。

 今回の事態の始まりは「韓国政府が慰安婦問題解決のために外交的な努力をせずにいることは違憲」とした2011年8月30日の憲法裁判所の決定だった。 この憲法裁判所の決定により、韓国政府は慰安婦問題解決のために日本との積極的な外交的交渉を始めなければならないという重大な義務を抱え込むことになった。 これを通じて1965年の韓日協定という封印で堅く閉ざされていた韓日関係の本質という"パンドラの箱"が開かれることになる。

 それ以後、どんなことが起きたのだろうか。 当時、日本の首相だった野田佳彦の証言を聞いてみよう。 彼は20日に発売された日本の『週刊東洋経済』とのインタビューで、在任中に起きた韓日間の攻防について詳しく証言した。 2011年9月に就任した野田首相は、就任後初の外国訪問地に韓国を選ぶ。 李明博大統領は韓国を訪れた彼に「歴代韓国政権は任期末になれば(反日という)日本カードを取り出してきたが、自分はそうしないだろう」と話したという。 この時までは李大統領は憲法裁判所決定の意味についてきちんとした報告を受けていなかったものと見られる。

>>2以降に続く)


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